最高裁判所第一小法廷 平成8年(行ツ)143号 判決 2000年1月27日
上告人
株式会社 大塚製薬工場
右代表者代表取締役
大塚芳満
上告人
大塚正士
上告人
大塚静江
右三名訴訟代理人弁護士
田中達也
田中浩三
被上告人
鳴門税務署長 稲﨑學
右指定代理人
渡邊英介
右当事者間の高松高等裁判所平成五年(行コ)第九号法人税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成八年二月二六日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人田中浩三、同田中達也の上告理由書記載の上告理由第五点について
記録に照らせば、平成元年四月二〇日付けの上告人大塚正士に対する昭和六二年分所得税の更正処分、平成三年一月一四日付けの同上告人に対する昭和六二年分所得税の再更正処分及び平成元年四月二〇日付けの上告人大塚静江に対する昭和六二年分所得税の更正処分の取消しを求める各訴えを不適法とした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。
上告代理人田中浩三、同田中達也のその余の上告理由及び上告人株式会社大塚製薬工場、同大塚正士の上告理由について
原判決挙示の証拠関係に照らし、本件各寄附は上告人株式会社大塚製薬工場振出しの小切手をもって上告人大塚正士が行ったものであり、右小切手の振出しにより上告人株式会社大塚製薬工場が上告人大塚正士に対し役員賞与を支給したこととなるのであって、これを上告人株式会社大塚製薬工場の所得の金額の計算上損金の額に算入することができないとした原審の認定判断は、正当として是認することができる。その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定に沿わない事実を交え、原審と異なる見解に基づいて原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)
(平成八年(行ツ)第一四三号 上告人 株式会社大塚製薬工場外二名)
上告代理人田中浩三、同田中達也の上告理由
○ 上告状記載の上告理由
原判決は、上告人株式会社大塚製薬工場が取締役会議にもとづいてなした、
十二神社人丸神社改築奉賛会に対する
昭和五九年一二月 三日 金二五〇〇万円
昭和六一年一一月一八日 金二五〇〇万円
立岩八幡神社御造営奉賛会に対する
昭和六二年 四月 六日 金三三〇〇万円
昭和六二年 八月一一日 金三三〇〇万円
昭和六二年一一月一一日 金三四〇〇万円
の各寄付(同上告会社宛領収書により、同上告会社振出小切手を奉賛会に交付し、もしくは同上告会社から各奉賛会銀行口座へ振込み、寄付されているもの)について、当然法人税法第三七条第二項を適用すべきであるのに、その解釈、適用を誤り、その条項を逸脱して、何らの法文上の根拠を示さないまま、上告人大塚正士個人が寄付者として課税されるべきである旨判断したもので、判決に直接影響を及ぼすこと明らかな法令の違背あるものとして、速やかに破棄されるべきである。
以上
○ 上告理由書記載の上告理由
第一点 原判決には、青色申告法人である上告会社に対する更正処分の附記理由に関し、次のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな、理由の齟齬、審理不尽、法人税法の解釈・適用の誤りがある。
一、原判決別表一の昭和六〇年九月期の寄付に関する昭和六三年一一月二二日付更正決定通知(甲第一号証)には、更正の理由として、役員賞与の損金不算入額と題して、同寄付金につき、上告人正士が関与した事実経過を記載したうえ、このような事実があるところから、「大塚正士個人が負担すべきものと認められる寄付金を貴社が負担したというべきであります。貴社は法人税法上の同族会社であり、このような行為が可能であったのは、大塚正士が貴社の株式の半数を所有し、かつ、同人が代表取締役会長であったという同族会社の社員構成の特殊性に基づくものであります。貴社のこのような行為計算は、経済人の行為として極めて不合理というべきであって、法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるので、法人税法第一三二条第一項の規定を適用し、同寄付金を大塚正士に対する役員賞与として損金算入を否認しました。」と記載されており、原判決別表一の昭和六二年九月期の寄付に関する昭和六三年一一月二二日付更正決定通知(甲第二号証)にも、事実経過が記載されたうえ右と同文(ただし、代表取締役会長の次に、昭和六一年一二月二六日以降は取締役社主、との括弧書が追加されている)が記載されて、いずれも同族会社の行為又は計算の否認を定めた法人税法第一三二条第一項に依拠する更正決定であることを明白にしている。
ところが、右各更正決定を求める本件訴訟において、被上告人は、右法条を主張せず、これを撤回して、寄付の主体は上告人正士であって上告会社ではない、とする寄付主体論に理由を変更するに至ったので、上告会社らはそのような変更(原判決では、差替え、と表現されている)は許されない旨主張して来た。
然るに原判決は、事実及び理由第二(争いのない事実)三の1の(一)の(3)(原判決は一審判決をそのまま引用しているので、同判決文のとおり記載する。以下同じ。)として、前記甲第一号証更正決定について、「これに対し、被告は、右寄付行為の主体は原告会社ではなく原告正士個人であり、同原告の支出すべき個人的費用を原告会社が負担したものであるから、原告正士に対する役員賞与というべきものであるとして、これを前記修正申告に係る所得金額に加算して所得金額を八二億四二一八万八〇五八円と算定し、別表二の更正欄及び賦課決定欄記載のとおり、更正及び過少申告加算税賦課決定の各処分をした。」と摘示し、その余の更正決定についても同判決事実及び理由第二(争いのない事実)三の1の(二)の(3)、同(三)の(3)において、右と同趣旨の事実を摘示して、いずれも更正決定の附記理由について、寄付行為の主体が上告人正士個人であるとの理由でなされていることについては争いがない、としているものである。
右のとおり、上告人らが強く争い続けて来ている事実について、更正決定通知書の記載と全く異なる更正理由を掲げて争いのないものと摘示したのは明白な誤認であって、審理不尽というほかはない。
更に原判決は(本件争点と当事者の主張)二の1において、処分理由差替えの可否、として上告人らの法人税法第一三二条第一項に依拠する理由から、これを撤回ないし取消して、寄付の主体が上告会社ではないとする異なる処分理由を主張することは許されない、との主張を争点の一つとして掲げ、第三の(本案の争点に対する判断)一において、これに関する判断をしている。争いのない事実としての摘示とは明らかに相矛盾し、理由に齟齬ある違法な判決といわなければならない。結果において争点判断がなされているとはいえ、事実摘示が正確になされて争点把握が可能となるのであるから、あまりにも誤った事実摘示との矛盾は、争点判断の正確性に疑問を投げかけるものといわざるを得ず、判決に影響を及ぼすものと考えなければならない。
二、上告会社は右昭和六三年一一月二二日付の二つの更正決定に対してその取消を求めて本件訴訟(第一審平成二年行ウ第五号)を提起したが、その後被上告人は、原判決別表一の昭和六三年九月期の寄付について、平成二年一一月二八日付で更正決定(甲第六八号証)をなし、その附記理由として、前記各更正決定と同様の上告人正士の関与事実を記載したうえ、それらの事実があるところから、「大塚正士が負担すべきものと認められる寄付金を貴社が負担したというべきであります。大塚正士個人が負担すべきものを貴社が負担したことは、大塚正士に対する臨時的な給与、すなわち賞与を支給したことになりますから、役員に対する賞与は、法人税法第三五条第一項に該当し、損金の額に算入することはできません。」と記載している。
右附記のうち、右記載の法条は、単に役員賞与は損金算入できない旨の定めにすぎず寄付が役員賞与とみなされる理由にはならないし、その余の記載は前記の各更正決定(甲第一、二号証)と全く同様であって、法人税法第一三二条第一項に依拠する旨の記載が存在しないところが異なるだけである。従って、この通知書を受領した上告会社は、なぜ右条項を脱落させたものか、ひいてはなぜ更正されるのか、その具体的根拠を知ることができなかった。
青色申告制度は、納税義務者に対し、帳簿を無視して更正されないことを保障したものであり、帳簿との関連において更正の理由を明記することが必要であって、このことはまた、恣意による漫然たる更正のないよう更正の妥当・公正を担保する趣旨をも含むものであり、附記理由には帳簿書類の記載以上に信憑力のある資料を摘示して処分の具体的根拠を明らかにする必要があると解される(最二小判昭三八・五・三一最民一七・四・六一七)。右趣旨から、帳簿を否認することなしに法的評価によって更正する場合にも、納税義務者がその根拠を知ることができるように、更正の法的根拠を明確に示す必要があると解しなければならない。然るに、法人税法第一三二条第一項に依拠することの記載のない右更正決定通知書では、いかなる理由で上告会社の寄付が否認されて役員賞与とみなされるのか、その具体的法的根拠を知ることはできず、右更正決定は法人税法一三〇条第二項所定の附記理由不備として取消を免れず、又この附記理由の不備は後日の裁決等によって治癒されることもない(最三小判昭四七・一二・五最民二六・一〇・一七九五)。
三、青色申告法人に対する更正処分の附記理由の変更(ないし原判決のいう差替え)は、これを新たに記載もしくは補完した更正処分をもってなされるか(最二小判昭四八・一二・一四訟月二〇・六・一四六)、もしくは少なくとも納税義務者本人に対する文書による通知を以ってなされねばならず、単なる訴訟手続上の攻撃防御方法として許されるものではなく、且つ更正処分をなしうる期間(国税通則法第七〇条第一項に法定申告期間から三年内と定められている)内になされねばならない(仙台高判昭三五・九・二六、行集一一・九・二六〇八、訟月七・一二・二四八三)。このように解しなければ、前記附記理由の不備やその治癒に関する判例と著しく権衡を失することになり、訴訟上の準備書面等の記載の方法や程度、その陳述の有無や時期、訴訟代理人の理由変更通知受領権限の有無等種々の問題を派生して、附記理由についての明確性、厳格性を要求した法の趣旨に反することになる。
本件更正処分の理由は、原判決別表一の昭和六〇年九月期及び昭和六二年九月期の更正処分については、法人税法第一三二条第一項に依拠することが明記され、同表の昭和六三年九月期の更正処分については全く同様の記載ではあるが右法条を脱落させていること前述のとおりであって更正の根拠を知ることができないものであったが、上告会社としてはいずれも右法条によるものであろうと考え、本件訴訟を提起して本件寄付が右法条に該当しないこと、特に法人税の「不当な減少」に該らないことに焦点を充てて主張したが、これに対し、被上告人は更正の理由についての主張、反論をしないまま証人調べ等の審理が続けられ、訴訟提起後二年以上を経過した第一審の平成四年五月一日付準備書面で、初めて、本件寄付の主体は上告人正士であって上告会社ではない、との新主張がなされるに至った。尤も、第一審の答弁書における訴状請求原因に対する認否のところで、請求原因六の取締役会承認ありとの主張に関しては、上告会社が本件寄付をしたとの点を否認して、上告人正士が寄付を行うに当たりその資金を上告会社が支出することにつき承認を與えるためになされたものである、と記載しているけれども、一方では請求原因四の初行から一二行までは認める、として、上告会社が本件寄付をした、との上告人らの主張を認めており、相矛盾する認否をしていたので、更に明確、詳細な主張をするよう被上告人に求めたが、右準備書面に至るまで約二年間明確な主張はなされなかったものである。
右準備書面の陳述により、法人税法第一三二条第一項に依拠するという更正の理由は撤回ないし変更されたものと考えられたがなお不明確であったので、原審第一回口頭弁論において上告人らから釈明を求めたところ、被上告人は、右法条についてはこれを撤回・変更し、一切主張しないことを明確にした。従って、本件訴訟においては右法条に該当するか否かの審理や判断はなされていない。
法人税法第一三二条第一項の、同族会社の行為又は計算否認の定めは、非同族会社では通常なし得ないような行為又は計算を、同族会社であるという特殊性の故になすことによって法人税の不当な減少をもたらすことを防止するものであり、当然に会社が主体として行った行為又は計算を対象とする。特に、寄付については別に損金算入限度の規定が存在するから、法人税の減少そのものは当然のことであって、同族会社であるが故の不当な減少であるかどうかが焦点となり、非同族会社事例との比較と減少の不当性の有無が問われることとなる。これに対し、寄付主体論は、寄付をしたのは会社ではなく個人であるというのであるから、両者間には根底において相違があり、前者から後者への変更は、これを争うについて、その観点や方法を異にする、納税義務者に不利益をもたらす変更といわなければならない。
然るに原判決は、両者間には「基本的な課税要件事実の同一性があり、原告らの手続的権利に格別の支障はない」として、本人に対する再更正処分や理由変更通知によらない訴訟手続上の変更、更正処分の除斥期間を経過した後の変更、上告会社がこれを争うについて大きな支障を生ずる不利益な変更、を許容したものであり、原判決は取消を免れないものと信ずる。
又、被上告人の、敍上の理由変更経過は、徒に審理のすれ違いを生ぜしめ、裁判所や上告人らに争点把握を困難にさせたものであって、訴訟手続上の信義則に違反するものといわなければならない。
第二点 原判決には、法人税法第三七条第二項の解釈適用を誤まり、ひいては憲法第八四条に反した違法がある。
一、法人税法第三七条第二項の文理解釈
法人税法第三七条第二項は、内国法人が各事業年度において支出した寄付金の額の合計額のうち、損金算入限度額をこえる部分の金額は、その内国法人の各事業年度の金額の計算上、損金の額に算入しない、と定める。なお、右「支出した寄付金」との部分は、旧法人税法(昭和二二年法律第二八号)第九条第三項に「なした寄付金」とあった表現を改めているものである。
右法文は、当然のことながら、内国法人が支出した寄付金について、損金算入限度の範囲内であれば、これを損金に算入することを認めたものである。
右にいう「内国法人が支出した寄付金」とは、右文言の文理解釈から、各事業年度において内国法人が受寄付者に対して出捐した寄付金を指すものと考えられ、内国法人が出捐時に内国法人名義で出捐した寄付金が、「内国法人が支出した寄付金」に該当することは文理上疑いの余地がないというべきである。
本件寄付金は、上告会社が各事業年度において、上告会社振出小切手を上告会社から十二神社奉賛会に直接交付し、或は上告会社から八幡神社奉賛会の銀行口座に直接振込んで、その都度各奉賛会から上告会社宛の領収証もしくは受領書を受理して、上告会社の「名義」で直接受寄付者に対して「出捐」した寄付金であることについては当事者間に争いがなく、原判決もそのとおり認定している。しからば、本件寄付金が、損金算入限度額の範囲内で損金算入が認められる「内国法人が支出した寄付金」に該当することは明らかである。従って、本件寄付金の損金算入を否定する原判決が、法人税法第三七条第二項の解釈適用を誤っていることは明白である。
二、法人税法第三七条第二項の立法趣旨
原判決が、同条同項の解釈適用を誤っていることは同条同項の立法趣旨からも結論づけることができる。
そもそも、法人税法第三七条第二項は、寄付金が、直接の対価を有しない給付であり、法人の事業目的に関連する費用かどうかの判定に困難を伴う性格を有していることに鑑み、その判定困難な寄付による法人税負担の不当な減少を防止するとともに、他方では課税庁の恣意による課税や判定不均衡による不公平取扱が行われる余地をなくすため、事業目的の有無など判定困難となる諸要素を問うことなく、法人の事業規模と所得金額に応じて画一的に一定限度(法人税法施行令第七三条第一項により、資本金の〇・二五%と所得金額の二・五%との合計金額の二分の一と定められている)までは損金算入を認めるとともに、その限度を超えると損金に算入しないことを定めたものである。
ところで、上告会社の昭和五九年度、昭和六一年度、昭和六二年度の寄付金の金額(但し、指定寄付金及び特定公益増進法人、試験研究法人等への寄付金を除く)及び損金算入限度額は次のようになる。
<1>昭和五九年一〇月一日乃至同六〇年九月三〇日
寄付金額 四二五五万二二〇〇円(内本件寄付金二五〇〇万円)
損金算入限度額 一億一一六万三九九六円
損金不算入額 〇
<2>昭和六一年一〇月一日乃至同六二年九月三〇日
寄付金額 一億四六八九万三〇〇〇円
(内本件寄付金九一〇〇万円)
損金算入限度額 一億二七六四万五一八六円
損金不算入額 一九二四万七八一四円
<3>昭和六二年一〇月一日乃至同六三年九月三〇日
寄付金額 一億五二六一万一〇〇〇円
(内本件寄付金三四〇〇万円)
損金算入限度額 一億二四七三万三三一八円
損金不算入額 二七八七万七六八二円
右のように、各奉賛会への寄付金が支出された事業年度のうち、昭和五九年度は寄付金額は損金算入限度額を大きく下回ったため損金不算入額はなく、昭和六一年度、同六二年度については、寄付金額が損金算入限度額を上回ったが、その超過額については、損金に算入されることなくこれに対応する法人税を申告して、適正に税務処理されたものである。
右のとおり、上告会社が各事業年度において支出した寄付金は、法第三七条第二項の法文にしたがって、損金算入限度の範囲内でのみ、損金算入されたものであるのに、原判決は、寄付金支出時までの経緯や受寄付者側の顕彰方法、事業関連性など、法の定めを越えて、極めて判定困難な領域に踏み込んだうえ、本件寄付金について損金算入を否定したものであり、明らかに法人税法第三七条第二項の解釈適用を誤ったものといわなければならない。
三、憲法第八四条は、租税法律主義を宣明して、法律の根拠に基づくことなしには租税を賦課・徴収することはできないし、国民は租税の納付を要求されることはないことを明らかにしているが、この定めは同時に、課税要件は法律によって定めねばならないこと、課税要件は一義的で明確でなければならないこと、課税要件が充足されるかぎり課税庁の自由な減免は許されないこと、賦課・徴収やこれに対する争訟は適正な手続で行わねばならないこと、を意味すると解されている。具体的事情や税負担の公平をはかるためには、不確定概念が用いられることもある程度は不可避であるとしても、法律自体解釈・運用の紛れが生じないよう、なるべく一義的にして明確な法文が求められているというべきである。
右憲法上の要請から法人税法第三七条第二項を観るとき、「内国法人が各事業年度において支出した寄付金」という法文は一義的にして明確であり、又、損金算入限度額の設定も、画一的取扱により紛れを生ずる余地をなくするものであって、租税明確主義にふさわしい条項といえる。
然るに原判決は、右の法文から離れ、損金算入限度額の制度の立法趣旨に反して右条項に示す範囲をこえて課税庁の認定の幅を拡大し、法が定める課税要件外の課税を容認したものであり、右法人税法の条項の解釈・適用を誤っただけでなく、憲法第八四条の精神をも踏みにじったものというべきである。
第三点 原判決には、本件寄付の契約者(合意者)ないし寄付の主体が、上告会社であるかそれとも上告人正士個人であるかの判断について、次のとおり、法律判断の誤り、条理・経験則の違背、枢要事実についての判断遺脱、採証法則の違背等があり、破棄を免れないものである。
一、十二神社寄付について、十二神社奉賛会関係者と上告人正士が面接して寄付の要請をうけこれを内諾(ただし原判決はこれを合意という)したのは昭和五八年一一月一日の一度だけであり、当時上告人正士は上告会社の機関(代表取締役社主)であったこと、上告会社常務取締役総務部長兼田繁が同席したこと、場所は上告会社の本社事務所であったこと。
八幡神社寄付について、八幡神社奉賛会関係者と上告人正士が面接して寄付の要請をうけこれを内諾(ただし原判決はこれを合意という)したのは昭和六一年一二月三一日の一度だけであり、当時上告人正士は上告会社の機関(取締役社主)であったこと、上告会社専務取締役小松喬一及び上告会社のグループ会社大塚化学株式会社専務取締役大塚徳夫が同席したこと、場所は上告会社の施設である潮騒荘であったこと。
右の事実については被上告人においてもこれを争わず、原判決も、右のうち役員同席の点には触れていないが、その他の事実はこれを認定している。そうすると内諾(原判決のいう合意)時には上告人正士は上告会社の機関としての立場で面接したのか(商法上顕名の必要はない)、それとも個人の立場で面接したのかが判断の対象となるが、その資格を併有するから、その判断は預金者判定問題と同様に、法的評価、法律判断であることに相違ない。
この場合、預金者判定における客観説、主観説のどちらの考え方に立ってみても、或は民・商法条の合意者判定とは別に税法特有の判定方法がある(そのような方法はあり得ないが)と仮定して考えてみても、先ず問うべきは、面接時に寄付金は個人か会社かそのどちらが支出する予定ないし意思のもとで内諾もしくは合意がなされたか、という点である。ところが被上告人は上告人正士個人が寄付金を支出する意思であったとは主張していないし、個人の支出資金源の存否についての調査もしていない。原判決も同じく上告人正士が合意をしたとの判示をしているものの、同上告人が寄付金を支出する意思であったとの認定はしていないし、その点には触れようともしていない。むしろ逆に寄付金の支出は当初から上告会社からなされる予定であったことを前提に、被上告人の主張がなされているものである。そうすると被上告人正士は上告会社の機関として、上告会社を代表して寄付を内諾ないし合意したとみるのが当然であり、まして個人の私宅ではなく上告会社の本社事務所及び上告会社の施設において、上告会社の上告人正士以外の役員も同席していることを考え併せれば、条理、経験則のうえからも上告会社がすなわち寄付者であることは明白といわなければならない。
そして原判決も認定しているとおり、後日取締役会の承認議決を経て、上告会社から直接奉賛会に対して小切手の交付もしくは奉賛会の銀行口座へ振込む方法で本件寄付金が授受されて、上告会社宛の領収証もしくは受領書が発行されているのであるから、上告人正士の面接時の行為は上告会社の機関としてなされたものであったことが裏付けられたというべきである。寄付者はその合意の時点においても、寄付金支出の時点においても、正に上告会社であり、その間に寄付者が変わることはない。
二、上告人らは、寄付者が上告会社であること、受寄付者である奉賛会側においてもそのように認識していたことの証左として、十二神社寄付につき、昭和五八年一一月一日に寄付内諾後一一月五日頃の毎月初に行われていた部長会議(社長以下の役員も出席)にはかつて非公式の諒承を得たこと、十二神社奉賛会が上告人正士と訴外大塚芳満(当時上告会社の代表取締役社長)を名誉顧問としたこと(寄付者芳名碑の下段に名誉顧問大塚芳満と刻まれている)、同年一二月一〇日に十二神社奉賛会の役員ら六名が上告会社社長大塚芳満を上告会社本社に表敬訪問したことを主張、立証した(ただし部長会については記録がなかった)。
これに対し被上告人は第一審の平成四年六月二六日付準備書面四項において、「寄付の主体は原告大塚正士ではあるが、その金員は原告会社の経理から支出されるものであることは十二神社、人丸神社改築奉賛会の者は知っていたと推認されることから、原告会社の代表者である大塚芳満を原告大塚正士とともに名誉顧問に推載し、その引受けを依頼するために同人を表敬訪問したものと理解すれば、何ら不自然なところはない」と反論している。
右反論のうち「寄付の主体は大塚正士ではあるが」との部分を除けば事実は被上告人の右書面記載のとおりであり、原審証人井久保武二作成の甲八五号証ノートの昭和五八年一一月一日面接時についての記載にも「大塚芳満氏も顧問になっていただく様会長(上告人正士を意味する)より了解を得た」と記録されており、甲八六号証ノートにも「12/10午後四時大塚製薬大塚芳満氏訪問、奉賛会名誉顧問表敬のため、参加益田、宮北、吉田、前田、八木、井久保」と記録されている。このことは、面接時に既に十二神社奉賛会役員らは寄付金が上告会社から支出されるものであることを知っていたことを意味する事実である。すなわち合意の一方の当事者である十二神社奉賛会も、当初から寄付金が支出されるのは上告会社であると考え、上告会社の代表取締役社主である上告人正士に面接して寄付を懇請し、代表取締役社主から寄付の内諾を得たので現職社長も名誉顧問とし、表敬訪問をした、と判定すべきものであり、またそれが正しい事実である。
被上告人の前記反論は、奉賛会の役員らは、寄付金を出すのは上告会社であるが寄付をするのは代表取締役社主である上告人正士個人であるという認識のもとに寄付を要請した、という主張になるが、そのような相矛盾した奇弁的な認識をもつことはあり得ない。
原判決は、右面接時における奉賛会側の寄付者が誰かの認識については認定していないし、右上告会社社長表敬訪問等に関する上告人らの主張、立証に対して全く判断を示していない。寄付を合意したのは上告会社か、上告人正士かを判断するうえで、その時点における一方の当事者奉賛会役員の認識は重要な要素であるから、判決に影響を及ぼす重大な判断遺脱であるといわなければならない。
三、原判決には、上告人正士が上告会社の機関(代表取締役)であったという立場から検討・判断したとみられる形跡がない。
上告会社の機関として、上告人正士や他の役員らがそれぞれの職分に応じて上告会社からどの程度の権限を与えられていたか、本件寄付の内諾はその権限を越えるものであったかどうか、本件寄付の内諾はどのような考えでなされたか、それは機関としての立場に相応するかどうか、上告会社では一般に行為の内諾と取締役会その他の社内合意もしくは諒承はどのようなルール、慣行でなされているか、本件寄付の内諾と取締役会承認に至る社内経緯はこれを逸脱しているか、機関としての行為とみられるかどうかの諸検討がなされなければ、それが機関としての行為であるかどうかの判定はなし得ない筈である。本件寄付の要請は上告会社本社又は施設においてなされており、現実に寄付金は上告会社からその名によりて奉賛会に支出されているのであるから、合意が機関としての行為でなかったというのであれば、他の機関としての行為との比較のうえでも検討されねばならないのは当然である。
しかし被上告人は本件寄付について上告会社の帳簿やルール、慣行などは全く調査しておらず、本件においても主張、立証はない。そして原判決も、機関としての立場を併有する基本的事実を見落し、機関としてみた場合の審理、検討、判断を全くしていないものであり、著しい審理不尽、判断遺脱があるものとして取消を免れない。
四、原判決は、改築奉賛会発起人会の設立など改築の議が既に神社側で存在してはいたが、前記上告人正士面接時における同上告人の発言を契機として、その後に正式の奉賛会が発足し、上告会社の取締役会承認議決の前に各神社改築工事計画がなされている、として、この事実をもって本件寄付の合意を上告人正士がしたと判定するもっとも大きな三つの要素のうちの一つであると判示している。
右は、平易に述べれば、上告人正士が約束してくれたのだから上告会社から寄付金が出るのは間違いなかろうとして、これを前提に奉賛会が取締役会承認前から神社改築準備をすすめた、という事実にすぎないものである。
一般の会社においても、代表取締役が口頭にもせよ内諾ないし合意すれば、その相手方は間違いないものとしてこれを前提とする準備を進めるのは当然であり、取締役会の承認は相手方からみれば内部事項である。又逆に取締役会で承認を得られる見込がないような事項について代表取締役が内諾ないし合意をする筈もない。
したがって、右事実が、合意をしたのは、機関としての代表取締役ではなく、代表取締役個人であるとする理由にならないのは条理上当然のことである。個人であるとするには、ほかにそのように考える特別の事情を示さなければならないが、原判決にはその判示はない。条理・経験則違背、理由不備、審理不尽の判決として取り消されるべきである。
五、原判決は、上告人正士を示すコード「一九〇一」が本件各寄付金支払のための小切手振出時に上告会社で作成された甲一一号証、一四号証、一七号証、二一号証及び二五号証の振替伝票に記載されており、これはこれらの小切手が上告人正士関係費用として振り出されたことをおのずから物語っていると考えられる、と合意当事者判定の第二の重要事項として判示する。しかしこれは全くの誤解である。
第一審の添田証人の証人調書(反対尋問の最初の部分)に、甲一一号証のみが示されて、その振替伝票借方の部門欄に「一九〇一」と記載されてその上に「社主」と記載されていたので、その両記載を一緒に説明すべく「下に一九〇一と書いてございますね。これは会社全体の経費というように経理部門として、あるいは社内で認識されておりまして、一般的に、その会社全体の経費というのは、この当時社主であるとか会長であるとか、いろいろな方があるわけですが、通常一九〇一は、社主関係経費というように、総務部の女性の方が書かれておった名称です。」との記録がなされた。正確には「一九〇一」は会社全体の一般経費である「非原価一般」を指し、その上欄の「社主」の記載が社主関係経費(社主が担当或は関与した経費という趣旨であり、たとえば専務が取引先等とともに飲食した接待交際費なども「一九〇一」と記載されたうえ、その上欄に「専務」と記載されることがある)を意味するものである。
上告人らは、右不正確な証言記録については、証人の再尋問をするまでもなく、数字がコンピューター利用上の便宜のためであることは常識として理解していただけるものと考え、甲八一号証経費管理部門マスターリスト(経費のコンピューター処理上のコード番号表)を提出し、第一審平成四年六月八日付準備書面二の(5)のホにおいて説明をし、右コード番号は上告会社の非原価一般部門(全社共通の一般経費)であり、上告会社の経費を意味することを明らかにした。
したがって、一審判決はこれに触れるところがなかったので、原審においても理解していただけているものと信じていたものである。
別添資料の昭和五九年、六一年、六二年の上告会社の補助元帳をご覧いただければわかるように、上告会社の寄付金の約七割弱が「一九〇一」のコードで支出されており(昭和五九年八九件、昭和六一年九九件、昭和六二年八七件)、「一九〇一」が上告会社の非原価一般部門(全社共通の一般経費)を意味することは明白である。
第四点 原判決には、本件寄付の寄付者が上告会社であることを示す重要な書証について、審理不尽、採証法則違背、理由不備の違法があり、破棄を免れないものである。
一、そもそも証拠による事実の認定については自由心証主義がとられているものの、このことは裁判官の恣意的認定を許すものではなく、書証については、その記載及び体裁からみて、特段の事情のない限り、その記載どおりの事実を認めるべきである場合に、なんら首肯するに足る理由を示すことなくその書証を排斥することは許されず(最一小判昭三二年一〇月三一日民集一一巻一〇号一七七九頁)、そのような書証の証明力を否定する特段の事由を認定しないで書証を排斥することは違法であるとされている(最三小判昭五九年三月一三日金融法務事情一〇七七号三二頁)。
二、ところで、上告人らは原審において、寄付を受けた立岩八幡神社が当時作成していた奉賛会出納帳(甲第八八号証)と、本件寄付以前に上告会社が氏子として立岩八幡神社に対して、毎年神社費を寄付し、神社の小改修費用を寄付してきた事実を示す領収書類(甲第八九乃至一一〇号証)を提出し、
<1>奉賛会出納帳には、
昭和六二年四月六日
大塚製薬工場寄付金 三三、〇〇〇、〇〇〇
昭和六二年八月一一日
寄付金大塚製薬工場 三三、〇〇〇、〇〇〇
昭和六二年一一月一一日
寄付金株式会社大塚製薬工場 三四、〇〇〇、〇〇〇
と記載されておりこれを素直に解釈すれば右寄付金の寄付者が上告会社にほかならないことを主張立証するとともに、
<2>上告会社の住所地の氏神である立岩八幡神社に対して、上告会社が上告人正士とは関係なく会社総務部を通じて昭和五二年以来氏子として毎年神社費を寄付してきていること、また、昭和五三年の神社の改修工事の際には、その工事費も寄付していること(甲第九三、九四号証)を立証し、昭和六二年度の大改修に際しての寄付金についても、これらの実績を踏まえて上告会社が寄付したものであると主張した。
三、ところが、原判決は、奉賛会出納帳については、「八幡神社他奉賛会出納帳に合計一億円の寄付者として原告会社の記載がなされている事実が認められるけれども、どのような事実認識の下にかかる記載がなされたものか不明である」と述べたにとどまり、前記最高裁判所の判示する、「書証を排斥する特段の事由」の認定なく、又「何ら首肯するに足る理由」を示すこともなく右書証を排斥したものである。
更に、甲九三乃至一一〇号証の領収書類については、これらが本件寄付の主体を判断するうえできわめて重要な書証であるにもかかわらず、原判決は何らの証拠評価を加えなかった。
原判決の結論は、過去の神社費を毎年寄付し、改修工事の費用をも現実に寄付してきた実績のある上告会社が、百年に一度あるかどうかの地元神社の大改築に際して、全く寄付をしない(会社として寄付者にならない)、との結論を是認することになるもので、きわめて不自然な認定である。立岩八幡神社が存在する立岩地区において、上告会社は、突出した経済力を有しておりしかも住民の約三分の一が同社及びグループ企業の社員や家族なのであるから、他の地元の小企業が氏子として寄付に参加していながら、上告会社が寄付者にならないことはありえない。
しかるに、原判決は、これらの書証を「特段の事由の認定」も「なんら首肯するに足る理由」も示さず排斥したのであり、原判決には、明らかに理由不備、採証法則違背、審理不尽の違法がある。
第五点 原判決は、上告人正士、同静江の昭和六二年分所得税の更正処分及び再更正処分の取消を求める請求に関して、次のとおり行政訴訟法、国税通則法、所得税法、地方税法の解釈、適用を誤り、又理由齟齬、理由不備の違法を侵しており、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかなものである。
一、原判決は、上告人静江に対する平成元年四月二〇日付け昭和六二年分所得税の更正処分を取消す訴えについては、平成三年一月一四日付けで、納付すべき税額を三五一万三七〇〇円(当初更正処分より増額)とする再更正処分がなされているから、これによって当初更正処分の取消しを求める訴えの利益は失われた、として右訴えを却下した一審判決をそのまま維持、引用して右部分に関する控訴を棄却しているが、その一方、上告人正士の昭和六二年分の所得税についての平成三年一月一四日付け再更正処分の取消しを求める訴えについては、再更正処分は当初更正処分と別個独立の処分ではなく、その実質は当初の更正処分の変更であり、再更正処分は当初更正処分より減額されているので、当初更正処分の取消しを求めるべきであって、再更正処分の取消しを求める訴えの利益はなく不適法である、として右訴えを却下した。
前者は再更正処分の取消しを求めるべきであって当初更正処分の取消しを求める訴の利益はない、とし、後者は逆に当初更正処分の取消しを求めるべきであって、再更正処分の取消しを求める訴えの利益はない、と判示するものであって、明らかに相矛盾する。再更正処分は当初更正処分の変更であって別個独立の処分ではないとする判示と、前記数額についての摘示を考え併せると、いずれか納付すべき税額の多い方が取消されれば、残された片方の処分も当然に取消されたことになる、と解しているとも思われるが、この点判然とせず、別個独立の処分でないとすれば後の処分のみが存在しているとも解され、明らかに理由不備と言わざるを得ない。
二、上告人らはすべての更正処分そのものの取消しを求めており、且つその取消しを求める法的利益があると考える。
原判決は、源泉徴収後の納付すべき税額において比較し、更正又は再更正によってそれが減少している場合は取消しを求める利益がないかの如く判示するが、所得金額、課税所得、源泉徴収税額などすべての項目にわたって納税義務者は正しい判定を求める法的利益が認められるべきであり、そのすべての項目について納税義務者に有利に更正されている場合は格別、そうでない場合、特に所得金額が増額されている場合はその取消しを求め得なければ著しい不合理を生ずる。
地方税法第三二条は道府県民税の所得割について、同法第三一三条は市町村民税の所得割について、いずれも所得税法第二二条所定の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額の計算の例によって算定することを定めており、所得(資産合算所得にあっては後記のように合算者の所得にも影響される)が増えれば当然に県市民税も増額される関係にあるが、道府県や市町村は独自に所得を判定する機関や能力を有せず、国に申告され或は国が更正した所得が市町村に連絡されて自動的に所得割が決定されており、右地方税法の解釈上も、道府県や市町村は、国に申告され或は国が更正した所得額とは別に所得を調査する義務はなく、又その権限もないと解されている。従って所得金額が更正されれば県・市民税はこれに従って変更され、逆に所得金額の変更が確定しなければ県・市民税も変更されない。更正処分にせよ、再更正処分にせよ、たとえ納付すべき税額が減少していても、本来の正しい所得より所得金額が増額されている更正決定が一つでも残存していれば、これに従った県・市民税は変動しないものである。所得金額に連動するものとして、県・市民税について述べたが、その影響するところは事業税など他にも多々存在する。
本件において、上告人正士の総所得金額と納付すべき税額及び県・市民税額(翌年度分として賦課される)の変動状況を見ると、原判決別表七の昭和六一年分については総所得金額が更正処分により金二三七五万円、所得税額(原判決は別表で源泉徴収税額など諸控除後の申告時納税額もしくは納付すべき税額を所得税額と表示しており、ここではその表示どおり述べるが、これを所得税額と記載したのは正確を欠く、以下同じ)が金四万二五〇〇円各増加して別添資料のとおり県・市民税は金二二三万二二〇〇円増額・追徴され、原判決別表八の昭和六二年分については、更正処分により総所得金額が金六二七〇万円増加、所得税額は金六〇三万二九〇〇円減額、更に再更正処分により右更正処分の結果より総所得金額が金三二三〇万円増加、所得税額は金三八万七六〇〇円減額となり、これに対し県・市民税は別添資料のとおり金一四八九万六二〇〇円増額・追徴されているものである。高率の源泉徴収がなされる結果、所得金額が増加して納付すべき税額が単に減少することがあるのは当然である。
又、上告人静江については、原判決別表九、同一〇のとおり、昭和六一年分同六二年分とも総所得金額は更正処分や再更正処分によって何ら変動はないけれども、上告人正士との間の資産合算所得計算による税額変動のため、昭和六一年度分については所得税額が更正処分によって金三三万二五〇〇円増額となり、別添資料のとおり県・市民税は金八万五三〇〇円の追徴となった。昭和六二年度分については、所得税額が更正処分によって金七五万二四〇〇円、再更正処分によって更に金三八万七六〇〇円増額されて、別添資料のとおり県・市民税は金三〇万四一〇〇円を追徴された。すなわち、上告人静江の県・市民税については、自己に対する更正処分、再更正処分が取消されねばならないのは勿論のこと、上告人正士の総所得金額が正されなければこれを正すことができない法的関連にある。
所得税、事業税、県・市民税などは、それぞれ別個の税金であるから、これに対する不服申立や更正処分の取消訴訟等もそれぞれ別個になすべきである、との論は誠に言い易い理論であるけれども、根幹となっている所得金額を正さずして県・市民税だけを正すことは、現実に不可能であるのは勿論、法解釈上もまた不能というべきである。
よって、原判決中上告人正士、同静江の訴えについてその利益がないとして却下した部分は、訴訟手続法規並びに税法の解釈の誤りによるものであるから、すべて取消しを免れず、実体審理がなされなければならない。 以上
(添付資料省略)
<省略>
(平成八年(行ツ)第一四三号 上告人 株式会社大塚製薬工場外二名)
上告理由書記載字句の訂正申立
上告代理人田中浩三、同田中達也提出の上告理由書中に、字句の脱落、誤謬がありましたので、次のとおり訂正します。
一、上告理由第一点の一中4頁一二行目
「右各更正決定を求める」とあるのを「右各更正決定の取消しを求める」と訂正する。
二、上告理由第三点の一中23頁一一行目
「民・商法条の」とあるのを「民・商法上の」と訂正する。
三、上告理由第三点の三中29頁七行目から八行目
「機関としての行為であるかどうかの判定」とあるのを「機関としての行為ではない、との判定」と訂正する。
四、上告理由第五点の二中42頁五行目
「源泉徴収後の納付すべき税額」とあるのを「源泉徴収税額控除後の納付すべき税額」と訂正する。
(平成八年(行ツ)第一四三号 上告人 株式会社大塚製薬工場外二名)
上告人株式会社大塚製薬工場、同大塚正士の上告理由
原判決は、事実の認定に際し、私の八十年間の信条に違背し、且つ、法人税法の適用を誤ったものである。その違背、誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものであって、原判決は速やかに取り消されるべきものと確信しています。
(上告人、大塚正士 上告理由)
一、寄附金に対する「大塚正士」の考え方
今回のような小さな出来事で、最高裁判所のお手を煩わすのは相済まんと思いますが、どうしても正しい事は正しいとの判断が下されていないので、今一度申し上げたいと思います。
本来ならば、直筆にて申し上げるべきところ、平成二年四月に徳島地裁に告訴してから六年が経過し、私こと今年の正月には脳梗塞を発病し、東京女子医大の脳神経科に入院しており、両足は歩行不能、両手は麻痺しており、自分で筆をとることが不可能であり、今回は口述にて訴状を作成しています。
入院してまでも正しい事は正しいと、この世に残しておきたいので、あえて申し上げる次第です。
今までに大きな寄付をした経験は、第一回は、昭和三十八年から四十年にかけて大塚製薬工場から徳島大学医学部に大塚講堂を寄付しました。
金額は、八千万円と思います。
あとから、昭和四十四年頃に五千万円位、合計一億三千万円位と記憶しています。
昭和四十年には大塚製薬工場はまだ株式会社ではなく、個人経営で、工場主は大塚武三郎、私の親父です。
社長、重役は勿論一人もおりません。
八千万円を徳島大学医学部に寄付して、大塚講堂という名前がついた。
結局、税金が半分以上かかってくる。
だから、大体八千万円利益を得て税金を色々払っていると、当時所得税と地方税を合わせて、七十~七十五%かかっていた。
八千万円の個人所得を申告して、六千万円位税金がかかってくる。
その残り、二千万円を飲まずに四年間貯蓄して、初めて八千万円の寄附金が出てくるのです。
大学といったら、国が建てなければいけないところだから、そこに寄付をするのだから税金を引いてくれると思っていたが、
こちらも十分知らなかったものだから、結局八千万円寄付したら、その中から所得税・地方税を六千万円から六千五百万円払って、その上に前述の通り四年間分を貯蓄し、八千万円寄付しなければならない。
だから、八千万円寄付する為には、三億円前後の金がいる訳です。
だけど、一応親父とも相談をして、寄付はしなければいけない。
しかし、国に寄付をするのだから、多少は税金は引いてくれるだろうと、寄付することを契約してしまったのです。
当時、大蔵大臣は田中角栄氏がされており、徳島県選出の生田宏一代議士が大臣の部下であった為、一緒に行かないか、ということになり、税法上ある程度面倒を見てもらう事ができるかな?、と頼みに行ったわけです。
目白御殿に朝八時頃いきました。
田中先生が朝風呂に入られており、ちょっと待ってくれと言われ、
風呂上がりのビールは旨いので、一杯やらんかとなり、ビールを飲みながら話をしましたが、税金の事は判らないので、木村国税庁長官に一遍聞いてみてやるということになって、その場で、ご自宅に電話をしてくれました。
木村国税庁長官は、昼前に国税庁長官室に来てくれたら、会うからということになり、生田先生と二人で行って話をしました。
木村長官の話では「大塚君、これはあかん」と仰言しやる。
個人(個人会社)が寄付したらばだめなので、法人が寄付をしたら全部面倒を見てやれるとのこと。
長官じつは、大塚製薬工場が今日あるのは、徳島大学の医学部のおかげで、今日の隆盛を来しており、終戦の時には、僅か十七人の社員でほんの小さな会社(工場)だったが、昭和四十年には個人所得税(会社の利益)でも六億円位払うようになり、社員も千人を超えるまで成長して来ました。
これも皆、徳島大学医学部のおかげで、ここまで来たんです。
点滴注射薬にしろ、オロナイン軟膏にしろ、いろんな医薬品は、徳島大学医学部のご指導を得て、ここまで来れたのです。
必ず、また当然、ご恩返しに寄付しなければならないと言いましたが、木村長官は現在の法律ではだめなのだ、大塚は法人がないのか、君のところに法人があったら、法人で寄付したらいけるんだがと言われ、法人は、化学関係で大塚化学(株)が一つありますと申し上げたら、
「それでよい、そこから寄付せえ」
そこから寄付せえと言われても、そこは大塚化学と徳島大学医学部とは関係がないんだが、それでも寄付したら税金を引いてくれるのですかと聞くと、
「それでも引いてくれるのだ、定めになっているんだ」と言われ、
それならば、今回は諦めまして、この次から法人の方で寄付しますと言いました。
それから、二~三年ほどしまして、冷暖房の装置とか、水道管の増設、椅子を沢山構えたり、音響設備などで、五千万円位寄付がいることになり、今度は、何も関係のない大塚化学から寄付をしたのです。
それは、すーっと通り、法人税から引いてくれた。
そういう事が過去にあるから、私らとしたら何か法人から寄付をしたら、税務の方で面倒を見てくれると思っています。
実際に国税局の方でも、もしもこういう問題があれば、三年に一遍位、高松国税局でも四国管内の皆を集めて、個人的な法人が沢山あるので、寄付に対する指導をしなければいけない。
何もせず、放りっぱなしで、間違えて個人(個人会社)が寄付してくれたら、又、今度みたいに個人が寄付をした、いや法人が寄付をした等との争い事があった場合には、国税局は個人がしたのだと無理に判定して、税金を取り上げた方が得だと、そういう考え方でやっているのと一緒である。
もう一つは、こういう場合には、不服審判所に審判を願い出るという事が初手ですから、今回も不服審判所に願い出た訳ですけど、不服審判所というところは、どういう所かというと、その時に我々が得た情報では、合議する審判官が六人いて、六人が全部高松国税局の局員がやめて、そこに入っている。
すべて高松国税局のOBばかりです。
それはおかしいなあということで、皆、国税局から給料を貰っている。
全部国税局に味方して、今度の場合でも大塚正士個人の寄付だと、これは会社の寄付ではないと、やっぱり無理に間違った判断をするに違いない。
だけど、そういう順序でまず不服審判所へ訴えるのだという事で、訴えたところ、後で得た情報では、六人のうち四対二で、二人が大塚側四人が国税局側の味方をして、結局、判定に破れて、やむを得ず、徳島地方裁判所へ裁判のお願いをしたということです。
その時でも、公認会計士の高石二郎さんが大阪の判例を色々調べて、例えば、小野薬品とかを調べて、こんなのは、昔、大阪では通っていますよ、だから、何も難しい事ではないので、徳島地裁に告訴をしませんかということで、それ一点張りで、何の疑いもなく、告訴状を出した訳で、それがもつれて今日になった次第です。
月日がこんなに長くかかって、高石先生も死亡、兼田常務も馬居八幡神社総代も死去いたしました。
次は私自身ですよね。
判決を待たずに、あの世へ旅立ってしまうかも知れません。
不服審判所の六人の審判官のうち三人が民間人、例えば弁護士、経済人、農家代表だったら裁判まで行かずに、ここで争いは収まっていたのですがね。
私どもは仕方なく、徳島地裁より高松高裁にも上告し、これも国家のためには相済まんのですが、正しいことが曲げられるのは我慢出来ません。
また、私が一番、裁判所に対しても不信に思うのは、
地裁は結審して判決が六回延期され七回目に判決が下り、高裁は三回延期され四回目に判決が下りました。
このように、判決が延期される事に不信を抱いているし、原告人の私を大岡裁きのように直接呼び出し、喚問がないことです。
昭和三十年頃、東京で本部を構えた時、東京国税局の調査を受けた事がありました。
大塚製薬工場の申告所得が五千万円だった時、その時、国税局員が一億円の所得と言って、この五千万円の差で揉めている時、国税局の課長がやってきて私が説明したのです。結果、大塚の主張を認めて、五千万円まけて五千万円の所得申告を認めて頂き、
「お前のところみたいに小さい会社が五千万円違ったら、こたえるからまけてやるが、五千万円位は東京国税局では痛くも痒くもない。
只、言っておきたいのは、五千万円や一億でゴチャゴチャ言わず、今日の五千万円を基礎にして、五億円・十億円と、もっと儲けて申告所得を大きくしろよ。
今回まけてやっても、君が大きくなったら、即、東京国税局の利益に役立つでないか?」と、言われました。
「民が富めるは朕が富めるなり」ですよ。
高松国税局だったら、先に取りにかかるだろう。
東京国税局には感心したものです。
大塚も昭和四十年頃には個人(大塚武三郎)で八億円の申告所得になり、大塚グループ八社で、ここ二~三年は法人申告所得が九百億円から一千億円前後までのびました。
東京国税局のお蔭です。
国税局もほんまに、ガミガミ取るばかりが能ではない、企業を大きくして、ゆったり取るようにし、何でもかんでも取るようではいけないと思いますね。
四国の企業が発展しないのは、国にも県にも責任があるが、高松国税局にも責任は大いにありますよ。
企業は、東京や大阪へ行くほうが楽である。
しかし、海外に本社を移転するのはもっての外で国賊ですよ。
四国の企業が成長しない要因には、地域性もあるが、一つには高松国税局の方針に誤りがあるからだと、つくづく思いますね。
二、寄付に至る経緯、寄付の手続き
平成六年六月一日の国税局準備書面で、里浦の十二神社に昭和五十八年十月三十一日にお参りに行った時、その場で、十二神社だけでなく人丸神社の改築を勧めたと国税局は言っているが、馬鹿なことです。
そうだとするならば、翌日に神社総代二十人位が会社に来た時に、人丸神社の同時改築論を知っていなければおかしいのに、その時の私の言葉からその場で初めて話題に上り、議論されたようになっているが、そんなことは、どっちだって良いのですよ。
余り愚にもつかぬことを言われますと、おかしくなりますよ。
十月三十一日は、総代が三人おり、宮北氏・八木氏はよく知っているが井久保氏というのは知らない人でした。打ち合わせた上、お参りしたのではないですよ。
私は、会社の帰りに寄っただけですよ。
十月末には、小林元吉氏より十一月初めに神社改築の話で、みんなで陳情に会社に伺いたいとの電話があったので、本殿がどれだけ傷んでいるかも判らないし、応分の寄付をしなければと思ったので見に行ったのです。
十二神社を見た後、一〇〇m位離れた所が人丸神社で、同じ境内も一緒で、そこで話をしました。
七十年前の子供の時の懐かしいそのままでした。
「よう傷んでいるなあ、皆がその気になっているのなら、こんな年に修理をした方が良いなあ」と、なぜ言ったかというと、
ここ二~三年里浦は、鳴門金時芋で非常に良く儲けて、全国の農家所得では一番か二番で、鳴門市里浦町の農家がいかに儲けているかは、高松国税局が一番よく知っているでしょう。
百五十年か二百年に一度位の事だから、氏子が儲けているならば、したら良い。
その時に、改築を勧めたとかいうのではなく、里浦の人が儲けてその気でいるのだから、その人達がやるというのだから、それならば、大塚製薬工場も手助けしなければ、創立以来長年お世話になっているのだからと思った訳です。
また現実は、人手が足りない年ですから町内に於ける大塚製薬工場の名声を寄付によって、更に高める必要がありました。
金の卵の年廻りでした。
その翌日、二~三人かと思ったら、総代が二十人位来たのです。
陳情を受ける場合は、会社でも自宅でもよかったのだが、会社にやって来たのです。
寄付を頼む人は、会社の知った人を頼って来るので、どこに訪問しても構わないことであり、社長を訪ねようと、会長を訪ねようと、総務部長を訪ねようと、誰を訪ねようと一緒で、知った人を訪ねて来なければ会社で応対してもらえない。
会社の中では、私を一番よく知っている。
里浦生まれで小学校からながなが里浦で生活し、会社に入った昭和九年からも里浦の人と仕事を一緒にしている。昭和六年から、里浦十二神社の氏子ではないのですよ。
大塚では、私は十一番目の社員でした。
当時は里浦の人ばかりで、立岩からは一人も来てくれなかったのです。
立岩は塩田が良かったので塩田で働く人が多く、終戦になって塩田が悪くなって、大塚に来てくれるようになったのですよ。
里浦の総代が二十人位も集まって来たので、私もビックリし、誰か重役はいないかと私が聞いて、当時常務取締役総務部長の兼田さんが同席したのです。
兼田常務は、鳴門税務署員から大塚入社の幹部です。
兼田常務でなくても、重役なら誰でも良かったのですよ。
来てもらって、話を聞いてもらって記憶に留めておいてくれれば良かったのです。
こういう話がありましたと役員会に話をしてもらえば良かっただけ、ここで、決議しょうというのではなく、私を訪ねて来たので、私が聞いただけの話です。
話を聞いたら、希望は五千万円と言う。
五千万円は十二神社だけですと言うのです、私が初めて知った一社改築です。
私が内心で「十二神社が出来上がったら、人丸神社も又頼みに来るな」と思ったのです。
人丸神社の方が古いのです。
そこで、両神社だったら五千万円、十二神社だけだったら三千万円、そのくらいだったら、役員会に諮ってあげましょうと言ったのです。
これは役員会に諮らなければいけないことだから、何ら不思議はない。
私が出してやると、約束した訳ではないのですよ。
奉賛会に、一金五千万円と寄付申込書に書いた訳でもない。
十二神社一社で五千万円では役員会に諮れないと言って、五千万円の場合は十二神社と人丸神社両社合わせてで、十二神社一社の場合は三千万円、これでなかったら役員会に諮れないと話しただけですよ。
出す、出さんとは言っていない、役員会に諮れないといっただけです。
そこで、私でなく総務部長が出ただけなら、聞いておきます・聞いておきますと言うだけで、総代も二十人も来ないでしょう。
里浦生まれで、子供の時から良く知っている、半数は私と一緒に大塚で働いた人々ですので、「正士はん」に頼みに行かないかとなったのは、当たり前。
寄付を頼む側は、一番よく知っている人に頼みに行くのは当たり前ですよね。
また、個人がしてくれようと、会社がしてくれようと、どちらでも良い、計画した金額が入れば、誰でも良いのですよね。
国税局の判断はおかしい、税金を取るほうにこじつけて言っている。
役員会に諮らなければならないという事は、私の頭の中に入っている。
五千万円が大きいように言っているが、五億でも五十億でも決めなければいけない時は、決めなければいけないことがある。
これは商売の話ですよ。
その場で判断しなければ、商売は出来ない。
後で役員会に諮って、正式に契約書を交わすことになるが、その場で内諾をしないと、逃げられてしまうことは商売ではよくあるのですが、寄付の場合は、相手でなくこちらが逃げられるようにするのが正しいのです。
その時、立岩の八幡さんからまた二~三年後には寄付を頼みに来るだろう。
里浦が大塚の寄付で立派な神社を改築したのなら、立岩も大塚に頼んで神社改築をしたいと言ってくるのは当たり前だから、地元ですもの言ってきたら、応分の事はしなければと、その時から重役に話していたのです。
これは口だけであって、委細を決めた訳でもなんでもないのですよ。
そうしたら、昭和六十一年十二月三十一日にゴルフに行って戻ってきて、大塚徳夫専務と小松喬一専務と三人で食事をしょうとしたら、立岩八幡神社の総代が訪ねて来るという事になっていたので、二人に一緒に食べて欲しいと言ったのです。
立岩の総代が五~六人訪ねて来たので、一緒に食事を潮騒荘でしました。
一人で一緒に食事をしたら、酔ってしまっても困るので、二人に同席してもらったので、立岩八幡神社の寄附金を決める話ではありませんよ。
本来、陳情を受ける場合、一人でも良い、決める訳ではないので、別に一人で聞いても良いのですよ、たまたま、その時刻に居たから同席してもらったのですよ。
その席上、お酒がすすんできて立岩側より一億三千万円の内、一億円を寄付して欲しいとの要望が出て来ましたので、役員会に諮ってあげると言っただけで、神社側がどう捉えたかは勝手であり、役員会で決議されなければ会社からは金は出ないし、私が奉賀帳に「大塚正士 金一億円也」と署名したわけではありませんよ。
役員会に諮りましょうと言っただけで、いつ、役員会が開催され、どのように承認されたかなどは、先の話ですよ。私は役員会には、重大な事がない限り出席していないのです。
また、国税局の準備書面には、「この度会長職を退き、経営面から手を引いたのと、七十歳になった記念に寄付をしたい。」と書いてありましたが、デタラメもよいところ、もし私の口からそんな話が出たとしたら、七十歳に私が代表取締役会長職を辞任するから余り先になると、役員会に於ける発言権が弱まるからという意味ですよ。
七十歳の記念など、言う筈がありませんよ。
私は、元来嫌いなことですから。
いずれにしろ、七~八名でワイワイ酒を呑んだ酒席の上の話で、国税局の判断は、笑止の至りです。
三、顕彰碑について
顕彰碑について、十二・人丸神社から初めて聞いたのは、何年か忘れましたが、毎年五月に行っている大塚家具の見本市会場で聞いたのです。
朝からお客さんが多く、忙しい時に総代が二~三人訪ねて来て、顕彰文を書いてくれと来たので、誰の顕彰文を作るのかと聞いたら、親父(大塚武三郎)と自分(大塚正士)のをすると言ったので、私はそんなの嫌いだからやめてくれといって、親父のだけだったらまあ良いかと言い、文章を書いてくれと言われたが客が行列して一杯だし、親父の顕彰の文章を息子が書ける道理がないと、原案を一読して返却したのです。
その時、私が迂闊だったのは、どんな顕彰碑を作るのかを聞かなかった事です。
神社の社務所の中に、額に陶板を入れ、下に説明の文章を書いて吊るすのだとばかり思っていたのです。
私が嫌と言っても、陶板は宮北氏が大塚肖像陶板の代理店をしており、父子二人の陶板を十枚位見本品として持っているので、それを引用して使ったのですね。
それ以降、気にも止めなかったが、
昭和六十二年十月三十一日は、里浦十二・人丸神社の落成式と会社の社員一同が私の為に、七十歳の勲三等旭日中綬章の祝賀会を開き顕彰碑を飾ってくれる日が重なって、片方を欠席する訳にいかないので、一時間位十二神社に行き挨拶をしまして、引き返したのです。
矢野市長の後に挨拶をしたと思うが、里浦の人でお世話になった人ばかり大勢いたので、丁重にお礼を言ってきました。
概ね次のとおりです。
「大正十年から昭和二十年終戦の時は、個人経営で里浦の人に大変お世話になったのです。
私は、昔から信仰をしない男で親父によく怒られたものです。
神は尊敬し敬うべし頼るべからず、神よりも人を信じる事だと、
そういう点からすると、永い事、会社が小さく倒産寸前のところ度々迷惑を掛け、里浦の人々にはよくお世話になって、今日の大塚製薬があるのです。
十二神社は、二百年に一度の改築をするのだから、里浦の人が資金を出すのだから、大塚も神社にするのではなく、里浦の皆さんにご協力したいので、寄付をさせて頂いた。」と挨拶をしたのです。
皆さんにお世話になり、会社が大きくなる事が出来たのです。
昭和六年頃、里浦から立岩に移って氏子ではないのだが、里浦の人が会社に来てくれ、里浦の人だけで戦争が済むまで会社を支えて全うして呉れたのです。
会社が利益を上げたのであって、会社が人々を授ける為に十二神社に寄付をするのは当たり前である、みんな氏子の為ですもの。
ブロムとか塩素が飛んで、公害の影響のあったのは里浦であった。
本社所在地は立岩となっているが、道一つ隔てて里浦であり、会社は立岩と里浦にまたがっている。
工場敷地は、一千五百坪でしたが、今は五万五千坪ですから想像出来にくいでしょう。
ガスは里浦の方に飛んで行き、農作物に影響を与え、排液は里浦の浜に流れて里浦の漁民が海苔で損害を被った。だが、里浦出身であるから堪えてくれ、一生懸命大塚を援助してくれた。
被害を受けたら、他の方法でしたら良いと国税局は言うが、被害を受けたらその都度してはいるが、やっぱりしていても、現在のように大きくなってきたら、何かの機会にしなければならないと考えるのは、当たり前である。
国税局なんかで人情が判るんですかね?
被害を受けたその時だけしたら済むというのは、国税局の判断で、民間はそうはいかないのですよ。
恩返しをしていく事で大塚が大きくなっていくので、大塚が現在大きくなったということは、人情でちゃんと報いているからで、あれは済んでいる、これも済んでいると言ってはいれないのです。
国税局ならば、それで済んで行きますがね。
一度でもお世話になっている以上、恩義は永遠に続くものである。
但し、企業が滅亡すれば話は別になりますが、恩知らずの企業は滅びますよ。
私は皆に言っております「企業は土地の上に立っているのではない、人々の心の上に立っているのだ」と。
十二・人丸神社の落成式に初めて、現在の顕彰碑を見た私は、あれだけ金をかけるとは思ってもいなかった。ビックリしましたね。
これは、国税局と論争になるなあと思ったが、これを壊せといっても折角里浦の人々がしてくれているのに、壊してくれとは言えない、皆に恨まれる。
逆転して、里浦町民一同の心温まる愛情をこわすことになる。
この後、国税局に言われて紛争の中心になったら、撤去してもらおうと益田代表総代にも言ったが、裁判のなりゆきで、先でみんなと相談するわとなったが、ここまで来ると、もう撤去してもらっても良いのではないか?
町民の怒りは買わないのでないかと思っているのです。
五千万円は大きいようですが、集まったお金は三億円を超えています。
大塚の寄付が百%だったら顕彰碑に金をかけて、大義が立ちますが、全体の十五~十六%です。
益田総代が仰言るように、「これを機会に里浦出身で第一番の成功者、大塚武三郎氏を顕彰するのが本心」で、この寄付だけじゃないのです。
また、立岩は会社の本社所在地であり、里浦にあれだけしたら「立岩も言ってきたら応分のことはしなければいけないなあ」と内々では言っていたのです。
立岩は終戦後、塩田がつぶれるようになって、塩田は二百軒あって、一軒で十一人位雇用していて、塩田で二千百人位雇用されていた。
大塚より塩田の稼ぎに行くほうが賃金が良かったので、大塚に来てくれなかったが、塩田が廃田になってきて、合同製塩でまとめて、イオン交換樹脂膜工場になった為、終戦後、大塚へも大勢入社してくれるようになってきたのです。
立岩は、里浦の富農ばかりとは異なってサラリーマンばかりの町です。
寄附金も集まる筈がありません。
故に氏子の大塚製薬工場が負担してあげねば、里浦のようなわけには参りません、大塚本社所在地ですからね。
私は、立岩も里浦の十二神社も全然参拝に行っていなかった。
昭和十三年、二回目の応召の時にお参りに行ったきりで、それ以降は行っていなかったのです。
私個人が寄付したなど、最初から現在までそういう気は一切ありませんよ。
私個人は、鳴門町土佐泊浦の亀浦神社の氏子なんです。
もうこれだけ、大きな問題になったのだから、顕彰碑を撤去して、住民票も鳴門から東京に移したいと、皆に明言しております。
四、「大塚正士」の顕彰碑についての考え方
私の顕彰碑嫌いは、昔からですから、嘘ではありません。
大塚製薬工場内の私の勲三等顕彰碑も、折角全社員の心だから受け取らないわけにもいかないから、私が死んだ後にしてくれと、石碑だけ作って頂いて、中は親父の詩です。
どうか、写真・現物をご覧ください。
(甲第八十号証 参照)
親父の銅像と並べて私も銅像をと、言ったのも社員一同に条理をつくし断りました。
また、政治とか名誉職も一切拒絶し続けた八十年でした。
私が自分を顕彰して貰う為に、会社の寄附金で顕彰碑をつくらせたなど、国税局もよくまあそんな悪推理ができるものですね。
まだまだ、これから寄附金を頼みに来る多くの公共的施設に対し、会社が寄付するにはどうしたら良いのでしょうね、教えて欲しいものです?
御不明の点が多いと思います、何卒御下問下さいませ。
(上告人、株式会社大塚製薬工場 上告理由)
一、寄附金経理の適合性について
「取締役相談役大塚正士(当時、代表取締役社主)個人の負担すべき個人的費用を原告会社において負担し、原告正士に代わって支出した。」として、第一審・第二審の判決が言い渡されましたが、法人の寄附金としての適合性を検証すると、寄付の要請から支出までの手続き、事業関連性、寄附金額の妥当性とも、法人が支出すべき寄附金として適合いたしております。
寄付の要請は、神社側が大塚製薬工場の代表取締役であり、総代の中に旧知の者が多いということで、大塚相談役に陳情するのが最適であると判断し、大塚製薬工場本社事務所、あるいは福利厚生施設である大塚潮騒荘を訪問いたしております。
その陳情の席上には、専務あるいは常務が同席いたしておりました。
大塚相談役が神社側との会話の中で、十二神社一社で五千万円の要請があったのに対して、「十二神社一社だけなら三千万円、十二・人丸両神社ならば五千万円位を役員会に諮ってあげましょう。」と言えるのは、法人の経済力、神社所在地域の住民との関連性を熟知した上の経営判断であり、他の役員が対応したならば、十二神社一社だけで五千万円を取締役会に諮り、数年後、人丸神社の改築寄付にも応じなければならない状況が想定される。
神社側からの寄付要請を受けた後、非公式の部長会などで寄付概要は報告されていたが、他の大口寄付依頼と同様に正式な寄附金の支出依頼が来た時に、取締役会の承認・決議が行われています。
昭和五十八年十一月一日 十二・人丸神社寄付要請
昭和五十九年 九月十日 十二・人丸神社寄付取締役会承認
昭和六十一年十二月三十一日 立岩八幡神社寄付要請
昭和六十二年 四月六日 立岩八幡神社寄付取締役会承認
ここで付け加えておきたいのは、判決文には「本件寄付は原告正士が取締役会の承認決議を経ることなくこれを決定している。」と書かれておりますが、前述のとおり大塚相談役は、「役員会で諮ってあげましょう。」と言っただけで、取締役会の招集・決議などには一切加わっておりません。
神社側が大塚相談役の「役員会で諮ってあげましょう。」の言葉から「寄付は受諾される」と認識したのは、両町民とも大塚相談役の大塚製薬工場における地位、業務執行決定力を熟知していることからではないかと推量されます。
寄附金支出の事務処理は、総務部の起票により支出依頼が経理部に提出され、法人名で小切手あるいは振込により支払われ、神社側より領収書を法人名で戴きました。
その際、委託研究に伴う奨学寄付、各部門が直接加入している学会への寄付等を除き、一般寄附金の計上は社内の経費配賦処理の関係で、部門名「共通非原価(一九〇一)」にて計上する取り決めになっており、本件寄附金も同一処理を行い、販売される全品目に経費が配賦されております。
判決文には、「大塚正士部門」で処理されているとの表示がありますが、これは誤りで全社的な共通費用部門が「共通非原価(一九〇一)」であり、役員の人件費・旅費なども当該部門で計上されます。
十二・人丸神社、立岩八幡神社の事業関連性につきましては、大塚相談役の前述の通りであり、
創立当初より里浦、また立岩の皆様には大変お世話になり、今日の大塚があるのは、両町民のお陰とも言えます。大塚の成長過程において、公害などで迷惑をかけ、また、社員の確保に苦労するなか大勢入社していただき、これらの社員は鳴門のみならず、全国各地の幹部として活躍をしていただきました。
市街化が進んだ現在においても、里浦・立岩の町民の三分の一は、大塚製薬工場あるいはグループ社員・家族です。
このような地域の町民が神社改築をしょうとしているのに、大塚製薬工場が町民の皆さんにご協力し、寄付をすることはできないのでしょうか?
寄附金額の妥当性については、前述のとおり大塚製薬工場と両神社所在地域、および住民との関係、さらには百年に一度あるかないかの支出である点、また、当時あるいはそれ以降の寄付金額の状況を見ると
徳島県薬剤師会への「県薬学会館建設資金」八千万円
徳島大学国際教育研究交流 年額八百万円(昭和六十三年より現在も継続中)
徳島大学臨床分子栄養学(大塚)講座 一期二億円(現在三期継続中)
徳島大学大塚講堂改修工事 二億五千万円
などがあり、百年に一度との観点から見ると何ら妥当性のない金額とは言えません。
また、社内における寄付手続きはこれらの寄付と本件寄付とは何ら変わるところはありません。
大塚相談役は、神社側から寄付要請を受け、取締役会での審議を依頼したのみで、「役員賞与」との認定を受け、会社は見なし役員賞与に対する所得税の源泉徴収および県・市民税を大塚相談役から徴収しなければならないとは、大変申し訳ない事態に陥ったと認識しております。
業務執行の決定機関であるとともに、取締役の職務執行を監督する機関である「取締役会」の決議事項を「原告会社の取締役会のした承認決議は寄付を出捐することについての承認決議とみる。」などとの認識は、商法を遵守して開催している「取締役会の権限」は、当社にはないと言われているのでしょうか。
以上